

会期
2025.10.03.金 - 11.30.日
時間
11 : 30 am - 20 : 00 pm
※大西晃生インスタレーション作品は10.03.金〜10.06.月の4日間限定展示
※10.07.火と10.08.水は展示設営作業のためProject Roomは休廊(Main Spaceは開廊)
※リアム・ギリックは10.09.木から展示スタート
出展作家
会場
高松シンボルタワー
マリタイムプラザ ホール棟 2階
高松芸術港 Main Space + Project Room
碧海:Autumn
第6章ではMain SpaceとProject Roomの2会場にて、TARO NASUの協力によりリアム・ギリックの作品とGALLERY KTOの作家数名による現代美術作品が展示されます。
地球という青い海原を宇宙から俯瞰して見れば、その青く光る地球に生まれた人は皆同じ星に暮らしているのだと同胞意識を感じるだろう。
そして、この星の人が自然と呼ぶ環境のすべてから芸術を生み出し、人は動植物を愛で、人は食物だけではなく、何によって生きるかを考える。
また、我々がこの地球をまだ宇宙から見た事のない頃、大地に、海に、と舵を切り、生き残る道標を与えてくれたのは空の星々であった。
そして地球もまた空の星である。
心や頭の雑念を流し、見る目を培ってきた芸術家が美を生み出した。
天と地の間に人は居て、人々は空間を切り開いた、人は自分の身体のサイズを基準にして椅子を作り、家を建て、街を造った。
20世紀近代建築の父と言われるル・コルビュジエは5原則とモデュロールを提唱した、モデュロールは、人体の寸法と黄金比から作られた普遍的な建築の基準として、調和と機能性を求めた機械時代の寸法である。
地球は様々な人が求めた寸法で出来ている。
そして人が求めた自然の法則は決して自然ではない、とても近いところで重なり合わない。
20世紀を越えて、ル・コルビュジエの近代を批判的に継承する芸術のあり方の1つとして、坂口寛敏は地球の大気と大地を、空間として新たにドローイングする、作品は宇宙から観た地球の海のように青く丸い。
西川由里子は現代の静物画として瓶を描く、カラフルな色彩が現れた瓶はピュリズム作品に多く見られる瓶やグラスを想い起こさせる。また西川はキャンバスに林檎を一つだけ描き、吊るした電球を林檎の種に見立てた林檎像のシリーズをインスタレーション作品として展示する。
李旭はテニスボールを使い、ポニーの姿のロッキンチェア彫刻を制作した。宙に浮くような浮遊感ある作品体験を与えるが、李はル・コルビュジエの名作シェーズロングチェアからもインスピレーションを受けている。
クロード・ドビュッシーのテニスをする男性1人と女性2人が描かれるバレエ『遊戯』の軽やかなイメージも思い浮かべさせる。
高松芸術港の出航:Spring - Summer展から瀬戸内海の海の大きさ、広さ、青ささえも想像に含ませイメージさせる根岸芳郎の抽象作品はル・コルビュジエが高松に来てアトリエを持ったなら、という高松芸術港「碧海」Autumn と同時開催の【ル・コルビュジエの旅-地中海から瀬戸内海へ】との関係をつなぐ作品でもある。
カップ・マルタンの休暇小屋は、地中海を臨むフランスのロクブリュヌ=カップ=マルタンにある。その小屋から見える景色は、窓という「切り取り方」により風景が変化する、ここでは瀬戸内海を臨む高松にアトリエを開いたならという考えも併せ、カップ・マルタンの休暇小屋の窓から見た地中海の景色と橋本直明が想像する高松にあったかも知れないアトリエの窓からの瀬戸内海の景色をここ高松の地で見つけた木や石やゴミを拾い集めインスタレーションにより劇場空間のように我々に想像させる。
2つ以上の可能性を想像しても同じ地点を通過してしまう、この場合は「窓」という水平線に橋本は「柵」と言う不確かに見る自由な枠組みを与えた。
大西晃生はどこでもない海を背景にした女性らしき存在意識を、プロンプトの書き込みにより AI に出させ、その姿を紙にプリントして、眺め、くしゃくしゃにして、捨てずにまた開き延ばして、大西はくしゃくしゃなそれを描く。
一度捨てたアイデアを再度取り上げて描く事は、記憶した事をやり直す事になる。本当に我々はそのアイデアが生み出す道を進んで良いのだろうかと、くしゃくしゃにした紙が未来への一歩を立ち止まらせる。
AIが生成した画像をモデュロールで作り直すくらいでは解決しない現実との亀裂が、世界はデザインされた様に法則が成り立つが、それはなぜなのか? と大西はAIが出す像とは違う解を描いている。
潮田友子は自身の身体サイズを基本にスキージと呼ばれる ヘラ を使い、近代芸術の代名詞ともなるグリッドを画面に表し、素材としての絵画の自律性や美的純粋性を追求する近代的な絵画原理を体現する作品を何年にもわたり制作して来た。
最小限の活動で最大限の効果を狙う潮田の絵画は反復という手段を用いて、最小限の動きと素材、力加減により最大限の差異や変化が生み出され、豊かなバリエーションへと結実する。
ミニマルアートと関係がありそうだが、そうとも思えない、それは黄色い立体作品が5連結した立方体パーツの組合せで完成する知育パズルをイメージしているからだ。
作品が枠組みから崩れ落ちたインスタレーションは、「人を幸せにする建築を作る」為のグリッドや幾何学構造は、潮田にとってはユートピアであるよりもディストピアを感じさせ「監視社会」により制限される自由、貧困と格差を生み出す抑圧的な世界観をも同時に表す。
仮に、坂口寛敏の作品が宇宙に出た人類が見た青い地球を描いたとしたら、リアム・ギリックは、天の星々の光が地上に降り注ぐ様を創出したように見え、その間に近代建築と人がいる。
高さ2.4mの木の壁からLEDの光が照射される。作品を観賞するにも目が痛くなる程にライトは光を放つ。
同じ形状のコンサートホールの天井から落ちる光には日常があるが、リアム作品の正面から放たれた光りには地上に降りてきた星の光のような美しさが生じ、しかし我々は目が開けられなくなり、光りの輝きは心にも厳しく突き刺さるだろう。
美のありかを厳しく先導するリアム・ギリックの構造体は、既に用途があり、その使用に合わせてサイズも決まっている現代の規格化された物たちを、違う要素に分解し、別の用途に導き出し、考えられることのなかった要求を充たさせる。
地上から星空を見上げたように感じられる作品は、芸術家が自然から美を生み出し続ける光でもあり、星が語る我々の未来のようでもある。
それは遠くから見れば美しく、近くでは目を開けていられない程に眩しい。
我々は美を引き受けられるだろうか。
美が人と人をつなぐ事を信じて。


























